【特集】スイーツフェアの舞台裏

西日本一の栗生産量を誇る熊本県山鹿市にて、2024年5月に「やまが和栗振興協議会」が発足した。 これは「やまが和栗」を山鹿市の重要な地域資源のひとつと位置づけ、官民が連携して和栗を活用 したまちづくりを行うための基盤が形成されたことを意味する。このような取組みに至るまでの 期間には、民間の事業者や和栗栽培に取り組む農業者など多くの関係者たちの尽力がみられる。 今回の特集は、十数年の歴史をもつ和栗を使った「スイーツフェアの舞台裏」と題して、スイーツ イベントを支える事業者や農業者たちを紹介したい。 ※本特集は、熊本県立大学総合管理学部行政学研究室の学生が取材を行い、執筆したものです。

【CASE1】スイーツフェアの立役者‐植田隆司さん

山鹿市菊鹿町-あんずの木に囲まれ虫の音や鳥の鳴き声が響く自然豊かな体験型複合施設「あんずの丘」。私たちはその自然の中に佇む洋菓子店「山鹿和栗洋菓子店An(アン)」を訪れた。扉を開けると、栗の甘い香りが全身をふわっと包み込み、店主の植田隆司さんが温かみのある優しい笑顔で私たちを迎えてくれた。

山鹿和栗洋菓子店An(アン)の外観

山鹿和栗洋菓子店An(アン)店内の様子

「やまが和栗」を楽しむことができる店づくり

訪問先の洋菓子店「An」をはじめ、カフェ「栗と空」や和菓子をメインとした「山鹿栗太郎」など、山鹿和栗を楽しむことができる店舗を経営する植田隆司さん。大学卒業後は、広告代理業の会社に勤務し、平成20年に独立した。その翌年、クライアントのひとつであった菊鹿温泉旅館「花富亭」から声がかかり、そこが指定管理者として運営するあんずの丘の広報やイベント等の企画運営に携わるようになった。その後、平成22年に山鹿の農産物の魅力を、スイーツを通して知ってもらうための店舗としておやつ工房「杏(あん)」をオープンした。

当初からすべてが順調に進んできたわけではない。現在の躍進の背景には廃業を覚悟した時期もあったという。菓子店はもともと無農薬の「あんず加工品」をメインとしてスタートさせたが、軌道に乗せることができず、開業から4年後には店をたたむか否かの判断を迫られたという。

そこで、あんず同様に着目していた「西日本一」の生産量を誇る山鹿市の栗「山鹿和栗」をメインにした経営改革を行った。「そこから5年ほどで結果が出ると思ったが、結局10年ほどかかった。報酬が0円の年もあり家族にもとても迷惑をかけた」という。ようやく3年ほど前から「An」が軌道に乗り始め、今では「An」に加えて「栗と空」「山鹿栗太郎」の3店舗を経営している。「10年…」と感慨深くつぶやく植田さんの表情からは、優しい笑顔の裏側にあるこれまでの苦労が垣間見えた。

西日本一の「やまが和栗」の力を証明したい

このような沢山の苦労のなかで、諦めずに前を向かって走り続けることができた原動力は、「山鹿和栗は必ず山鹿市を豊かにする」と信じ続ける思いである。「山鹿和栗にはこれからの山鹿市を盛り上げる力があるし、それを証明したい」と力強く語る植田さん。

また、「山鹿市はこれから山鹿和栗で良くなる方向に進んでいる。それを多くの人と共有し、地域全体で一人でも多くの人が豊かになり、活気があるまちになることを期待している。それが若い人に引き継がれるように考えながら取り組みを行っている。」と、にこやかに話す植田さんの表情はとても自信に満ち溢れていた。

優しくほほ笑みながら話をしてくださる植田さん

スイーツフェアの舞台裏

くまもと山鹿和栗スイーツフェアの始まりは今から12年ほど前に遡る。15年前にあんずの丘で山鹿和栗のPRのために「第1回あんずの丘マロンフェスタ」を開催した。その後は、地域を「栗のまち」としてPRすべく、山鹿市は栗の生産量が多いことを必死で伝え続けてきた。

2013年「山鹿栗スイーツフェア」という名でスタートし、翌年には参加店舗をまわるスタンプラリーも開催した。しかし、その事業も長くは続かず終了。植田さんは何とか継続させたいと踏ん張り、自主開催による「くまもと山鹿和栗スイーツフェア」をスタートさせた。

スイーツフェアの開催にあたっての一番の苦労は何といっても「参加店集め」だという。当時は、山鹿の栗が西日本一だということを知っている人はほとんどおらず、費用負担もある。何より現状でそれほど苦労のない店舗にとっては新しい挑戦をする方がリスクがあると考える経営者もおり、説得には時間がかかったという。しかし、課題の一つである栗の原材料の供給やアイデアを何年もかけて提案し続け納得してもらい、今では参加店も初期の頃より2倍以上に増えているという。

消費者の「辛口意見」を躍進の糧(かて)へ

「くまもと山鹿和栗スイーツフェア」では、スタンプラリーの応募の際に「辛口意見」を募集するようにしている。昨年は5000通ほどの応募があったが、植田さんは全ての感想意見を読むようにしているという。

毎回多いのは「商品が買えなかった」「売り切れで残念」という声。特に山鹿和栗スイーツフェアの原点である「栗だんご」は最も人気で、毎回すぐに売り切れてしまうようだ。そんな辛口意見であるが、実際は応募してくれたうちの8割程度は良い意見だという。

「こうしたらいいんじゃないか」「あれがあったらもっと良くなる」など参考になる意見も多くあり、その意見を実際に活かせるように尽力されている。印象に残っている意見を問うと「山鹿和栗スイーツフェアを目的に、旅行の計画を立てましたという意見が増えていること。県外からわざわざ、しかも旅行のメインになっているのが嬉しいですね。」と笑顔で回答する植田さん。

 これらの消費者の感想を参考にし、栗や栗商品を求めて1年を通して多くの人が山鹿市に足を運んでくれること。そして、訪れる人が満足できる、喜んでくれるサービスをしっかりと提供すること。またそれが農家の方をはじめとした地域経済の活性化に寄与し、一人でも多くの人が「栗に取り組んでよかった」と実感してくれること、それが植田さんの目指す山鹿の姿である。

(写真)熊本県立大学 総合管理学部 山口昂大
(記事)熊本県立大学 総合管理学部 黒田真琴

【CASE2】美味しさや大きさへのこだわり‐佐藤泰次さん

大学生へ栗園の案内をしてくださる佐藤さん

6月の夏晴れのなか、みずみずしい栗の香りが漂う栗園を訪れた。敷地いっぱいに花咲く栗の花をはじめ、僅かに赤みがかった珊瑚紅葉や真っ白に咲き誇る山ぼうし、そしてこの広大な栗園の管理者である佐藤泰次さんが元気溢れる挨拶と笑顔で私たちを迎えてくれた。

生まれ変わった栗農園

佐藤さんが栽培する栗園は、昭和の時代に国の事業を活用して整備された「みかん園」が後継者不足等で廃園となり、その土地を譲り受けて栗園へと生まれ変わらせたものである。綺麗に整地され、植えられている栗木は、樹齢7年目迎えるという。梅雨時期の栗木は花を咲かせる時期であり、ふさふさとした花を大量に咲かせ、エネルギー溢れる栗木の生命力を感じる。

この栗園では丹沢25a、筑波50a、美玖里20a、その他50a合わせて145aの広さで栗栽培がされており、剪定や肥料等の基本管理は佐藤さんひとりで行っているという。栗の収穫はその品種によって収穫時期にばらつきがあるため、8月20日ごろから10月10日ごろまで約2か月に渡って収穫が早いものから順に作業を行う。年々、収穫量は増大しており、令和5年度の収穫量は4.6トンであった。

栗栽培をするうえでの苦労を尋ねたところ、「鳥獣被害も大変だけれど、最も不安なことは自然災害、特に台風が心配。」とのことで、台風により1年間栗の収穫ができないと、3年後までその影響が出るのだという。

愛らしい若い栗の実

農作物に対する飽くなき「こだわり」

繁忙期は朝5時に自宅を出発し、栗園へ向かうという。1日のルーティンは、栗木への朝の挨拶から始まる。
「おはよう、今日も大きくなったね。」

まるで自身の家族へ話しかけるように声をかけ、1時間かけて丁寧に木々の状態を確認する。佐藤さんの愛情に応えるように、元気に花咲く栗木たち。毎日愛情をもって育てることが栗栽培の最も重要なポイントだと語る。

楽しそうに栗の話をしてくださる佐藤さん

また、美味しさや大きな栗の実を育てることへの飽くなき探求心で、日々、丁寧に栗木の剪定を行っている。「栗菓子や料理を扱う店舗によって、栗の品種や大きさなど好みは異なる。L玉が好まれるときでも、自分は2Lや3Lを目標に栗木を育てる」という。「何事もこだわりをもって、目標を明確にして行動することが大事だ。」と語る佐藤さんは、目標を口に出すことで自分自身にプレッシャーを与え、目標を達成させる「有言実行」を現したような人である。栗栽培を行う上での妥協は一切なく、その栗作りに対するこだわりには目を見張る。

また、栗農園の敷地内には佐藤さん自身が造ったコテージがあり、そこには、過去に受賞した栗の出荷量や品質に関する賞状が2枚飾られており、その左側には不自然に空けられたスペースがある。飾られた賞状には「2位」「3位」と記されており、その空きスペースは、次に1位を受賞した時にその賞状を飾る場所なのだという。常に次なる目標を持ち続け、その目標に向かって日々活動し続ける佐藤さんの姿は私たち若者をも勇気づける。

ビジネス志向の農業経営

もともと農業者向けの金融支援の業務に携わってきた佐藤さん。経理を学び、JAに入所。また、ハンドボールをこよなく愛し、42歳まで現役選手として活動を続けた。元気の秘訣は、長年スポーツマンとして活動して鍛えられた体力に違いないが、他方で農業をビジネスと捉え、長期的で俯瞰的な視点で農業経営を行う思考や態度は、JA時代に金融畑で培われたのものであろう。

「農業はビジネス、農家だけが儲かるのではなく、加工業者も、関係者全体で儲かる仕組みが必要だ。」と語る。

57歳から栗栽培を始め、周囲の農業者から果樹栽培の技法を学びながら躍進を続ける。「今年は昨年よりさらに収穫量を増やし、6トンの栗を出荷することが目標。最終的に“日本一の栗農園”を目指したい。」という。有言実行の佐藤さん、その目標が実現する日もそう遠くはないのかもしれない。

(写真)熊本県立大学 総合管理学部 山口昂大
(記事)熊本県立大学 総合管理学部 梅田結衣

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