豊前街道てくてく歩き ~山鹿市旅先案内人の会との観光地巡り~
「山鹿灯籠まつりの起源は?」「山鹿灯籠は誰が作り始めたの?」そんな風に疑問を持ったことはありませんか?そうした疑問をすべて解決してくれるのが「山鹿市旅先案内人の会」、山鹿市の歴史・文化に詳しいスペシャリストです!
豊前街道を歩きながらたくさんの興味深い話をききました!今回は、その中から2つの話をご紹介します。
山鹿灯籠まつりを支える「灯籠師」
今でこそ「山鹿といえば山鹿灯籠」と言われるほど有名ですが、そもそも誰が広めたのか考えたことはありますか?
松本 清記(まつもと せいき)さん、この方が山鹿灯籠製作の第一人者だそうです。
温泉とお酒が好きだった松本さん。旅先案内人の方も、朝風呂に行く姿をよく見かけていたそうです。いつもにこにこした温和な性格で、焼酎に砂糖を入れて飲むのが好きだったんだとか。
普段はそんな親しみやすい姿を見せる一方で、ひとたび灯籠づくりを始めると一切の手抜きを許さず、重厚で繊細な作品を数多く生み出されたそうです。その名声は県内にとどまらず、大阪や東京をはじめ全国の企業から山鹿灯籠製作の依頼があったほど。山鹿灯籠の名を全国に知らしめました。
こうした功績により、熊本県近代文化功労者顕彰・熊本日日新聞社会賞・山鹿市名誉市民といった数々の表彰・称号を受けられました。
当時唯一の灯籠師である松本さんが自身の技術を伝承していなければ、今の山鹿灯籠や山鹿灯籠まつりは存在していなかったかもしれません。そう思うと、松本さんの偉大さがよくわかりますね。
現在の灯籠師は8名。この日お会いしたのは灯籠師修行6年目の田中 良太さんです。一人前になるには10年以上も修行が必要なんだそうです。
灯籠師の方には、豊前街道沿いにある山鹿灯籠民芸館で会うことができます。
そのあとは民芸館にある山鹿灯籠の作品を見学。灯籠師の方が作られた、宮造り・座敷造り・城造りなどの作品の数々は圧巻です。思わず「本当に和紙と糊(のり)だけで作ったの!?」と疑ってしまいました。
ほかにも、山鹿灯籠民芸館には灯籠師の方の作品や松本さんの作品、実際に使用されていた道具などが展示されています。案内人の方の話をききながら、職人技の粋を自身の目で見られてはいかがでしょうか。
さくら湯にある「龍の湯」は、お殿様の湯?!
山鹿市街地の温泉「さくら湯」の中にある「龍の湯」をご存じですか?
現在は見学用として開放されていますが、当時は、お殿様しか入ることが許されなかった温泉です。
浴室内は、市松模様が粋な大理石の床と、白い大理石の壁が目いっぱいに広がり圧倒されます。あたかも「ここは外国?」と思ってしまうような西洋風な造りとなっています。
そして、目線を上に向けると二頭の龍が描かれた天井が目に飛び込んできます。豪華な湯船に浸かりながら、天を舞う龍にどのような想いを馳せたのでしょうか。
なぜこのようなお風呂が当時の山鹿に造られたのか、不思議に思いませんか?その理由も旅先案内人の方に伺いました。
「当時、熊本藩は長崎藩の警備の役目を担っていたそうです。そのため、長崎にある出島を通じて外国の技術を取り入れ、このような温泉を造ることができたのです。」と答えてくれました。
学校で習った歴史が、現在の山鹿にあるものから知ることができるとは、大変面白いですね。