山鹿温泉の発見は今から800年ほど前、保元の乱に敗れて下ってきた宇野親治(うのちかはる)が保元2年(1157年)、「手負いの鹿が湯浴みをして傷を癒している」のを見て温泉を発見したといわれています。 また文献によると、平安時代の承平4年(934)に書かれた『和名抄(わみょうしょう)』の中にも肥後の国山鹿郡の「湯泉郷(ゆのごう)」として出ており、温泉場として広く全国に知られていたことがわかります。
「山鹿千軒たらいなし…」と唄われるほど湯量豊富な温泉も、文明5年(1473)3月に突然枯れてしまいますが、金剛乗寺(こんごうじょうじ)の住職宥明法印(ゆうめいほういん)が薬師堂を建立し、ここで不眠不休の祈祷をしたおかげで12月20日に念願のお湯が復活しました。 温泉プラザ側、さくら湯の入口横にある薬師堂では、毎年この日に温泉復活感謝祭が開かれています。