山鹿の夏夜に映える、灯りの芸術。

山鹿灯籠まつり

山鹿の町全体を幻想的な灯りで彩る、九州屈指の夏の風物詩「山鹿灯籠まつり」。
頭に金灯籠を掲げた浴衣姿の女性たちが、ゆったりとした情緒漂う「よへほ節」の調べにのせて優雅に舞い踊ります。
古の町並みと光が織り成す絶景を愛でる2日間。心ゆくまで酔いしれてみてください。

山鹿灯籠まつりの由来

和紙と糊だけで作られた山鹿の伝統工芸品、「山鹿灯籠」。

その起源は、深い霧に行く手を阻まれた第12代景行天皇のご巡幸を、山鹿の里人たちが松明を掲げ無事にお迎えしたことに由来します。

以来、里人たちは行在所跡(現在の大宮神社)に天皇を祀り、毎年灯火を献上するようになったのが始まりとされています。

室町時代になると紙製の金灯籠に姿を変え、その後、金灯籠を頭に掲げた女性が舞い踊る「山鹿灯籠踊り」が誕生し、祭りの代名詞ともいえる千人灯籠踊りが生まれました。

時を超え息づく、気高い和紙の芸術 山鹿灯籠

室町時代から伝わる山鹿灯籠は、木や釘を使わず、糊と手漉きの和紙だけで制作される伝統工芸品。有名な金灯籠をはじめ、神殿造り、座敷造り、城造りなど様々な様式があり、すべて手作業で精巧に表現されています。その作り方には一貫した鉄則があると言われています。

灯籠作りの鉄則とは

  • 木や金具は一切用いず、和紙と少量の糊だけで作られます。
  • 柱や障子の桟にいたるまで、各部位は空洞に仕上げています。驚くほど軽いのはそのためです。
  • 灯籠としての美しさや迫力を表現するために、建物などを単なる縮小ミニチュアではなく、独自の寸法で工夫して作られます。

灯籠師

山鹿灯籠を語る上で、「灯籠師」抜きには語れません。山鹿灯籠の制作技術は、この灯籠師によって長く受け継がれ、現代に伝わっています。

一人前の灯籠師になるには、10年以上の修練が必要と言われ、高等な技術と熟練を要する厳しい世界です。

現在、灯籠まつりに奉納される灯籠は約30基。4月の大宮神社の制作開始祭でお祓いを受けて身を清め、それから8月の灯籠まつりまで息を抜くことができない日々が続きます。

かつて灯籠師は、町内の旦那衆と言われる富商に制作依頼を受け、手間を惜しまず精巧さを競い、その家で門外不出、師弟継承の秘技として代々受け継がれてきました。このような、職人による繊細に構築された匠の技により、昨今の見事な芸術に辿りつくことができています。

現在は8名の灯籠師によって、日々伝統が守られ続けています。今では女性灯籠師も多く活躍し、その繊細な感覚を生かした確かな職人技と心意気で、灯籠づくりに新たな風を吹き込んでいます。

これらの美しい灯籠は山鹿灯籠民芸館、大宮神社・燈籠殿でご覧になることができます。

よへほ節

主は山鹿の骨なし灯籠 よへほよへほ 骨もなけれど肉もなし よへほよへほ

山鹿灯籠まつりで歌い踊られるのが「よへほ節」。

現在歌われている歌詞は、昭和8年に野口雨情氏によって作り直されたものです。

「よへほ」の語源については、「酔へ+ほ」からきたのではないかという説があり、「ほ」というのは肥後弁特有の、他人に何かを促すときや、相手の気を惹いたりする意味があるため、お酒を勧めていることになります。

このことから、この唄はもともと酒席、いわゆるお座敷唄として歌われていたようです。つまりこの踊りを見て「あなたもお酔いよ、ホラッ」といったニュアンスであると言われています。

山鹿灯籠踊り保存会

山鹿灯籠踊りを守り、次の世代に継承していく

「祭りやお酒にお酔いなさいよ、ホラッ」の意味を持つ「よへほ〜」という語りかけが繰り返される、山鹿の民謡「よへほ節」の踊りを守り、優雅でしなやかに踊る灯籠娘たちの舞い踊る姿は見る者の心まで魅了します。

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ぶらりひとめぐり 山鹿さんぽ

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