栗川 亮一
はじめに。
「山鹿あそび」では「灯籠温泉卓球」において、江戸時代からの伝統工芸である「来民渋うちわ」をラケットとして使わせていただきました。山鹿灯籠と来民渋うちわを使用した灯籠温泉卓球がいくつかのメディアでも取り上げられたり、観光客にも喜んでいただく一方で、市内の高校生から伝統工芸の扱い方として疑問の声が新聞に寄せられたりもしました。それも踏まえて、なぜ卓球のラケットとして「来民渋うちわ」を使うことができたのか。1889年創業の栗川商店・栗川 亮一さんにインタビューしました。
山鹿あそび。
「400年の歴史がありますからね。それを受け継いでいくためには、作り手側がずっと同じものを提供すると廃れていくと思うんですよ。その時代時代にあった変化をやっていかないと続かない。若者が今なにを欲しているのか、世の中が何を求めているのか。我々が転換していかなければならず、それがオリジナリティになるっていうのをずっとやってきましたから。今、団扇なんて無くていい世の中だから、それをどう売っていくかという時に、そこに変化をつけなきゃいけない。だからこういうアイデア(山鹿あそび)は非常にいいと思いますよ。大いにこういうのに使ってもらっていいし、なんでも使っていい。これをすることによってうちの製品もまた違うアイデアが生まれてきたりもするわけです。そして伝統工芸をちゃんとわかってくれている学生が、ああ言ってくれるのもほんとにありがたいことだなと」
伝えていきたいこと。
「とっかかりは何でもいいんです。知ってもらえるだけで1番いいと思いますので。団扇業界が廃れている時に、私が団扇をやろうと思ったのかというと、柿渋なんですよ。江戸時代に日本だけの資源で物づくりをやってましたよね、鎖国してましたので。それで物を生産するのにとても足らないわけです。そのために長持ちさせるとか、大事に使うとかの知恵と工夫が生まれてきたわけですよ。それが柿渋だったわけですよね。その柿渋を今の子たちに伝えていきたいっていうのが1番の想いにあったわけです。団扇を通して物を大切に使うという知恵とか心とか、そういうのを伝えたいっていうのはありますよね。柿渋を自家製で作っているのはもううちだけじゃないかと思います。8月の頃に山に取りに行って。それを潰して、漬けて、漉して、そして甕に入れて5年。5年ものを使う」
外に向けてのPR。
「子供たちにレクチャーしたりはしますよね。体験させたり。熊本市の中学校や小学校に呼ばれて、団扇作りを体験させたりしています。ななつ星のツアーも毎週来てますよ。来られたお客さんにどう感動を与えるかっていうのは常に考えるわけですね。もちろん竹を、骨を割ったりするのも皆初めて見るでしょうからそこで感動を与えて。ななつ星もただ見学だけでは面白くないって、オリジナル団扇を作りましょうって、ななつ星のオリジナル団扇を作って、来た人の名前を書くとみんな感動して帰るから。香港の人も中国語の漢字で名前を全部書いてやったもんですごく感動して。キッカケになったのは団扇って冬場売れないじゃないですか。だから南半球で売ろうと思って、シドニーで展示会をやったわけですよ。その時にオーストラリアは日本びいきだから、団扇も歓迎してくれるんじゃないかな、欲しいんじゃないかなと思ってやったら、あまり食いつかなかった。そこで筆で相手の名前を漢字の当て字に直して書いてやったわけです。そしたら2,000人並んだ」
これからの「来民渋うちわ」
「後継者は全然こないよ、伝統工芸だから。だからうちは1本釣りする。いろんな付き合いしていると、この子はって子が自然と出てくる。それでやってみないかと声をかける。どこでも伝統工芸なんて若手の後継者はほとんどいないんだからね。うちは若い人たちばっかりだから、いつ死んでもいい(笑)。やっぱり寄ってくるんですよ。物を作っていると。そうすると面白くなきゃいけないし、こちらも楽しい職場でなきゃならない。そうするとそこに『うわっ』て感動してくれるお客さんもいるしね」