山鹿灯籠「かな灯籠」

中島 清

はじめに。

「山鹿あそび」では卓球やまち歩き、ヨガにて、室町時代から続く伝統工芸である「山鹿灯籠・金灯籠」を使わせていただきました。市民の皆さんから「金灯籠」を使って山鹿の名前を売り出すアイデアが出る一方、「山鹿灯籠」は容易に触れてはいけないものという空気もありました。別素材で金灯籠の複製品を作り観光プログラムで使うというアイデアが出た時、「本物を使ってほしい」という提案を頂いた灯籠師・中島清さんにインタビューしてきました。

山鹿あそび。

「どっちかというとあんまり古びたことにこだわることはない。例えば女性の灯籠師なんていなかったのが、今は女性の灯籠師もいますし。何年か前から奉納灯籠の担ぎ手に女性をもってきたのも私がやれやれって言ったんですけど。そういったものに対してはあまりこだわりはない。なんでかと言うと、俺が若い頃は年配の方たちに言われて、あちこちの物産展とかにしょっちゅう出てたもんですから。その辺はまあ、あちこち見てるからね。宣伝するにしたって町の中だけでやったって仕方ないっていう気はあったもんですからね。 偽物かぶってるとおかしいですしね。俺から言わせたら、何で本物かぶらないのって。使うのであれば本物を使ってもらった方がいいです。前の森川観光課長が灯籠を頭に乗っけて踊りをやろうと言い始めた人なんだよね。山鹿灯籠まつりというのは昔は山鹿の人たちが8月15、16日に自分たちが楽しんでやってた祭りなんだけど。森川さんがやり始めた頃から外に売り出そうって話しになった。その辺から一つぼんっと知られるようになってね。そろそろまたもうひとつ売り出さんといけないのかなと思う」

伝統工芸のあり方。

「伝統工芸というものはですね、今伝産品が100とかあると思うんだけど、昔はまだいっぱいあったと思うんだけどね。残ってるのはね、ある程度変わってきてるわけですよ。全く同じものがそのまま300年も400年も続くわけないんだから。どっかで少し違う技術が入ってきたり、作り方が変わってきたりとかしてるわけですよね。そういうことを作り手が考えながらある程度変えてきたから、今残っているんであってね。伝統をそのまま受け継いで変えたらいかんとかだったらね、絶対残っていないと思う」

山鹿灯籠で食べていく。

「俺らの若い頃は灯籠なんか作ったって飯食えなかったんだから。それをどうするかっていったら、やっぱり人が例えば1日1個作る所を1個半作ったり、2個作るような形にすれば、多少飯が食えるようになるじゃないですか。その辺のことを考えなければね。どこでもそうだろうけれども、行政だけじゃなくて、自分たちで売ってくために、販路も考えていかんといけないですからね。デパートの上の催事場に出て行って実演しながら。値段考えながら。そうは言ってもそんな売れなかったんだけど昔はね。それが今から先の宣伝の一つだと思ってやってきたからね」

これからの山鹿灯籠。

「後継者が育つには販路っていうかね、物が売れなきゃダメじゃないですか。それを考えてやらないといけない。後継者を育成せい、育成せいって言って後継者を育成したって、その人が作った灯籠が売れるのかって言ったら売れない。そこをどうにかしてやらなきゃいけないし、自分で考えていかなければいけない。そこが難しいところ。こういう事言うとあれなんだけど、俺はやっぱり若い頃からデパートの催事に行ったり、ある程度あっちこっちテレビやメディアに出たりした。そうすると名前が売れてるからね、山鹿灯籠ってなると中島さんだって話になってくる。そうすると仕事は自ずとうちにくるわけですよ。これからはそういうことも考えていかないといけない」

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